主なメンバーの脱退後の活動
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「レインボー (バンド)」の記事における「主なメンバーの脱退後の活動」の解説
リッチー・ブラックモアは、レインボー活動停止以降はキャンディス・ナイトと共に、アコースティック主体のブラックモアズ・ナイトを結成した。 ロニー・ジェイムス・ディオは、脱退後はブラック・サバスに加入して更なる様式美を追求し、さらに自らのバンドディオを結成。ジミー・ベインがメンバーとして在籍した。アメリカ市場においては全米アリーナツアーを行うなど、商業的にレインボー以上の成功を収めている。2010年5月16日、胃癌により他界。 ミッキー・リー・ソウルは脱退後、イアン・ギラン・バンドに加入。 コージー・パウエルはソロやマイケル・シェンカー・グループ、エマーソン・レイク・アンド・パウエル、ホワイトスネイク、ブラック・サバス、イングヴェイ・マルムスティーンなどで活動したが、1998年に交通事故で他界した。 グラハム・ボネットは脱退後すぐに秀逸なソロ・アルバムを残し、マイケル・シェンカー・グループでの活動を経て、自らのバンド「アルカトラス」を結成し、イングヴェイ・マルムスティーン、スティーヴ・ヴァイといった著名なギタリストを世に出すのに一役買っている。 ドン・エイリーはオジー・オズボーンのバンドやホワイトスネイクに参加した後、ディープ・パープルに加入。 ロジャー・グローヴァーはリッチー脱退後もディープ・パープルに在籍し続けている。 ジョー・リン・ターナーはソロ主体で活動。チャック・バーギとも行動を供にしたが、一時期ディープ・パープルに在籍した。 デイヴ・ローゼンタールはセッションを主体として活動。1980年代後半には全盛期のシンディ・ローパーのバックミュージシャンとしてワールドツアーに同行し来日した。2006年のビリー・ジョエルの来日公演ではチャック・バーギとともにバック・ミュージシャンを務めている。また、再結成したプログレ・バンド、ハッピー・ザ・マンでメインのメンバーとして録音に参加したり、ブラックモアズ・ナイトにアレンジャーとして参加したり、現在でも幅広く活動している。 トニー・カレイはレインボーから解雇された後、ソロ・シンガーやプラネットPプロジェクトとして活動していた時期もある。 2008年11月、リッチー・ブラックモアの長男でギタリストのユルゲン・ブラックモアとレインボーの元メンバーであるトニー・カレイ、ボビー・ロンディネリ、グレッグ・スミス、ジョー・リン・ターナーが新バンド「オーヴァーザ・レインボー」(OVER THE RAINBOW)を結成。
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