丹後の弥生式古墳の独自性
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/12 07:40 UTC 版)
「大谷古墳 (京丹後市)」の記事における「丹後の弥生式古墳の独自性」の解説
丹後王国論を提唱する歴史学者の門脇禎二(京都府立大学名誉教授)は、竹野川流域を中心とした政治領域があったと考察している。その論の特徴の一部に先述したトヨウケモチ(豊受大神)信仰、竹野川流域の丘陵地で見られる方形台状墓は丹後を起源とする論じている。丘陵地の突端の斜面を削り出した台状墓は弥生時代後期の丹後・但馬の独自のものであり出雲を中心とした因幡、伯耆、越で見られる山陰を代表する四隅突出型墳丘墓は丹後・但馬では見られない。この事から出雲とは一線を画する独自文化圏を持った勢力があったと考えられている。これらの台状墓は大谷古墳がある近隣の竹野川上流部域の丘陵地帯に大谷古墳も含め三坂神社墳墓群、左坂古墳群、今市古墳群、比丘尼屋敷墳墓などの台状墓が狭い地域内で多数発見されている。
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