中村登美とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 中村登美の意味・解説 

中村登美

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/28 08:25 UTC 版)

中村登美
なかむら とみ
生年月日 1916年12月29日
出生地 日本 茨城県那珂郡
没年月日 (2016-04-09) 2016年4月9日(99歳没)
出身校 茨城県立水戸高等女学校卒業
(現・茨城県立水戸第二高等学校
前職 自動車学校長
所属政党 (喜友会→)
自由民主党
称号 勲三等宝冠章
配偶者 先代中村喜四郎
子女 中村喜四郎

選挙区 茨城県選挙区
当選回数 1回
在任期間 1972年2月 - 1977年7月3日
テンプレートを表示

中村 登美(なかむら とみ、1916年12月29日[1] - 2016年4月9日[1])は、日本の政治家自由民主党参議院議員(1期)。参議院議員先代中村喜四郎の妻、元衆議院議員(元建設大臣中村喜四郎の母。

経歴

茨城県那珂郡出身[2]1935年茨城県立水戸高等女学校(現・水戸第二高等学校)卒[2][3]。中村喜四郎と結婚し、夫が運営する自動車学校の役員から校長となる[1][3]1971年暮れ、夫が死去し、翌年2月の参議院補欠選挙で茨城地方区において諸派(喜友会)から立候補して[4]、自民党公認候補などを破り当選し[4]、茨城県初の女性参議院議員となった[1]。当選後は自民党に入り、参議院物価等対策特別委員長などを歴任した[1][3]。参議院議員は1期務め、1977年第11回参議院議員通常選挙には出馬しなかった。息子の喜四郎は前年の衆議院議員総選挙で初当選した。1992年勲三等宝冠章を受章[1]、2016年に99歳で死去した。

脚注

  1. ^ a b c d e f 『現代物故者事典 2015~2017』428頁。
  2. ^ a b 新日本展望 1973年版 547コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  3. ^ a b c 『議会制度百年史 - 貴族院・参院議員名鑑』370頁。
  4. ^ a b 『朝日選挙大観』576頁。

参考文献

  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 『朝日選挙大観』朝日新聞社、1997年。
  • 『現代物故者事典 2015~2017』日外アソシエーツ、2018年。



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「中村登美」の関連用語

中村登美のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



中村登美のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの中村登美 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS