中村彰男 (ゴルファー)とは? わかりやすく解説

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中村彰男 (ゴルファー)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/11 06:27 UTC 版)

中村 彰男
Teruo NAKAMURA
基本情報
生誕 (1952-02-19) 1952年2月19日(73歳)
身長 179 cm (5 ft 10 in)
体重 67 kg (148 lb)
国籍 日本
出身地 東京都
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中村 彰男(なかむら てるお、1952年2月19日 - )は東京都出身のプロゴルファー

旧名は「中村 輝夫[1]

来歴

1979年にプロ入りし[2]1983年中部オープンで2日目に63をマークして首位[3]に立つと、鈴村照男とのプレーオフ[4]の末に初優勝[5]を飾る[6]

1987年に賞金ランク34位で初のシード入りを果たし、1989年は僅か6万5000円ほどの差でシード落ちしたが、2年後の1991年に中部オープンで3度目の優勝を飾りシード復活を遂げた[6]

1990年のサンコーグランドサマーでは初日を植田浩史窪田茂加藤仁と共に69をマークして5位タイ[7]でスタートし、最終日には海老原清治森憲二町野治高見和宏と並んでの6位タイ[8]に入った。

1991年の水戸グリーンオープンでは芹澤大介坂下定夫福沢孝秋と共に松永一成の2位タイ[9]1992年には静岡オープン4位タイ[10]ダンロップオープン5位タイ[11] [12]に入り、同年・1993年富山県オープンを連覇。

1993年にはペプシ宇部興産丸山茂樹トッド・ハミルトンアメリカ)に次ぐと同時に渡辺司と並んでの3位タイ[13]1995年には静岡オープンでブライアン・ワッツ(アメリカ)、丸山・鈴木亨に次ぐ5位[14]に入った。

2002年からはシニア入りし、ファンケルクラシックでは高橋勝成と優勝を争い2位、続く日本プロシニアでも初日から優勝争いに加わり、陳志明中華民国)に敗れはしたものの最終日ベストスコアの65をマークして大いに気を吐いた[6]。賞金ランク5位でシード権を獲得[6]し、2年目の2003年はファンケルシニア5位などで賞金ランク15位[15]とシード権を守る。

3年目の2004年はファンケルシニア初日、5アンダーで2位に2打差をつけて単独トップに立つも2日目、最終日とスコアを伸ばすことができず3位タイに終り、シニア初優勝はならなかった[16]。シニアツアー全試合に出場して日本プロシニア4位、キャッスルヒルオープン6位タイなど予選落ちはなく、3年連続してシード権を獲得[16]

2005年もシニアツアー全試合に出場して、日本プロシニア、日本シニアオープンで予選落ちしたものの、ファンケルクラシック4位タイ、アデランスウェルネスオープン5位タイと健闘し、賞金ランク18位に入った[17]

2007年はシード権が途切れて予選会からの出場となったが、シニアツアー6試合に出場して、ファンケルクラシックでは最終日に追い上げて5位タイ。コマツオープンでは中尾豊健室田淳らと優勝を争って3位と健闘し、賞金ランク18位でシード権復活[18]

2008年は鬼ノ城シニア3位、PGA Handa Cup9位タイと2試合でベスト10入りなど予選落ちはなく全試合で賞金を獲得し、賞金ランク25位としてシード権を守る[19]

2009年日本プロ[20]を最後にレギュラーツアー、2013年の日本シニアオープン[2]を最後にシニアツアーから引退。

狭心症を患って手術したほか、大動脈弁閉鎖不全症と左心室肥大の診断を受けるなど体調が優れない中、幸い医師から「ゴルフはしても良い」と言われ、2021年には関西プロゴールドシニアに出場[21]。最終日は前半1番、2番と連続ボギーにしたが、4番でバーディーを取り返し、前半終了時に同組の前日首位となった秋富由利夫と並んだ[21]。インコースに入っても、バーディーチャンスを決め切れず、15番ではセカンドをミスして2mの難解なラインのパーパットが残る[21]。その15番をパーとし、17番もパーをキープ、18番もパーとし優勝[21]

主な優勝

レギュラー
  • 1983年 - 中部オープン
  • 1988年 - 中部オープン
  • 1991年 - 中部オープン
  • 1992年 - 富山県オープン
  • 1993年 - 富山県オープン
  • 2007年 - 愛知県オープン
シニア
  • 2004年 - 北海道シニアオープン
  • 2007年 - 中部シニアオープン
  • 2021年 - 関西プロゴールドシニア

脚注

  1. ^ 中村 彰男選手 プロフィール - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年9月2日閲覧。
  2. ^ a b 中村 彰男 - PGA会員詳細 - 公益社団法人 日本プロゴルフ協会”. www.smile-pga.jp. 2023年9月2日閲覧。
  3. ^ 朝日新聞縮刷版p115 昭和58年9月3日朝刊19面
  4. ^ 中部オープンゴルフ選手権競技 1983 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年9月2日閲覧。
  5. ^ 朝日新聞縮刷版p182 昭和58年9月5日朝刊18面
  6. ^ a b c d 2003年シニア選手紹介”. www.pga.or.jp. 2023年9月2日閲覧。
  7. ^ 朝日新聞縮刷版p484 平成2年8月12日朝刊20面
  8. ^ 朝日新聞縮刷版p517 平成2年8月13日朝刊17面
  9. ^ 【公式】水戸グリーンカントリークラブ”. www.mgcc.jp. 2023年9月7日閲覧。
  10. ^ ダイドードリンコ静岡オープンゴルフトーナメント 1992 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年9月9日閲覧。
  11. ^ 中村 彰男選手のプロフィール”. www.jga.or.jp. 2023年9月3日閲覧。
  12. ^ フルリーダーボード ダンロップオープン 1992 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年9月9日閲覧。
  13. ^ ペプシ宇部興産トーナメント 1993 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年9月9日閲覧。
  14. ^ ダイドードリンコ静岡オープンゴルフトーナメント 1995 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年9月9日閲覧。
  15. ^ 2004年シニア選手紹介”. www.pga.or.jp. 2023年9月2日閲覧。
  16. ^ a b 2005年シニア選手紹介”. www.pga.or.jp. 2023年9月2日閲覧。
  17. ^ 2006年シニア選手紹介”. www.pga.or.jp. 2023年9月2日閲覧。
  18. ^ 2008年シニア選手紹介”. www.pga.or.jp. 2023年9月2日閲覧。
  19. ^ 2009年シニア選手紹介”. www.pga.or.jp. 2023年9月2日閲覧。
  20. ^ 中村 彰男選手 年度別大会成績 - 日本ゴルフツアー機構 - The Official Site”. www.jgto.org. 2023年9月2日閲覧。
  21. ^ a b c d <関西グランド・ゴールド/FR>グランドは倉本昌弘が連覇、ゴールドは中村彰男が初優勝”. www.pgatour.jp. 2023年9月2日閲覧。

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