中島飛行機半田製作所々歌
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「中島飛行機半田製作所」の記事における「中島飛行機半田製作所々歌」の解説
「中島飛行機半田製作所々歌」は、1944年にレコードが作られた。ニッチク工業レコード。作詞:西條八十、作曲:信時潔、歌:伊藤武雄・安西愛子。この曲の歌詞は、半田空襲と戦争を記録する会『半田市誌別巻 (半田の戦争記録)』半田市 (1995年)などの文献に収録されている。 このレコードのB面は、「突撃隊の歌」。 中島飛行機太田製作所への昭和天皇の行幸を記念して太田製作所々歌が作られたのを始めとして、小泉製作所にも所歌が作られていた。そこで1944年3月になり半田でも所歌を作ることが決定された。4月上旬、作詞を担当した西條八十が半田に来訪。5月1日、歌詞が到着。10月5日、曲が到着。11月4日の本工場を皮きりに11月6日まで4工場と主な寮で発表会を開催した。この時には所歌を吹き込んだ伊藤武雄・安西愛子も来演してくれ各会場とも盛会裡に終わった。この発表会以後、工場の休憩時間や夜の寮の食堂で所歌と「突撃隊の歌」を流して、その普及・浸透に努めた。また工場への通勤時、従業員は列を組み、所歌を歌うのが常だったという。
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