中国の笑話集
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/17 01:21 UTC 版)
中国では、魏の家臣であった邯鄲淳(132-220以後)による『笑林』が古代における集大成であると言われている。だが、当時の主流派である儒学者からは「低俗な書籍」として忌み嫌われて排斥されてきたために、中国ではその多くが散逸してしまった(却って、日本に持ち込まれてそのまま残されて日本にしか残っていない作品も存在する)。 明代に入ると大衆文学が盛んになるとともにこうした説話を集める人達が増加して再び盛んになった。その代表作が趙南星(1550-1627)の『笑賛』と、馮夢竜(1575-1646)の『笑府』である。両方とも著者は政治的には不遇であった政治家・儒学者であった。前者は高官にまで昇りながら権臣魏忠賢によって流刑にされ、後者は明の滅亡後も南明政権に加わって清軍と戦って戦死したとも、亡命先の日本で客死したとも言われている。清代の『笑林広記』(著者は「游戯主人」と名乗るがその伝記は不明)が近世における集大成であり、以後のものは以前の作品の焼き直しばかりとなり、衰退していくことになる。
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