中国の恒星の命名
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/08 06:42 UTC 版)
古代中国の天文学者は、ヨハン・バイエルよりも1000年も前に、裸眼で見える恒星に体系的な名前をつけていた。全ての恒星は基本的に1つのアステリズムに割り当てられ、それぞれのアステリズムごとの個々の恒星に番号が付された。しかし、バイエルの体系のように恒星の視等級に基づいて番号が付けられたのではなく、その位置に依っている(しかしバイエルの体系でも、北斗七星のようにほぼ同じ等級の恒星の集団の場合は、位置によって番号を振っている)。 例えば、アルタイルは中国では「河鼓二」という名前であるが、「河鼓」はアステリズムの名前、「二」は番号である。ベテルギウスの「参宿四」のように、星官(アステリズム)の名前が二十八宿の宿そのものになる場合は、「~宿」と付ける。 中国では古代から知られていた星の他に、「増星」といって後に知られて星官に追加された星もあり、これは星官(アステリズム)の名前と番号の間に「増」を置いて呼ぶ。有名どころでは、ペガスス座51番星は「室宿増一」、はくちょう座61番星は「天津増廿九」といった具合である。 また、神話や占星術に由来する伝統名を持つ恒星もある。例えばアルタイルは、七夕の神話に由来する「牛郎星」または「牵牛星」として知られる。 これらの恒星名は、現在の中国でも用いられている。また、英語の固有名が着いている恒星は、慣例的にその翻訳も用いられている。
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