中国による修復
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/25 03:19 UTC 版)
「黒潮丸 (タンカー)」の記事における「中国による修復」の解説
太平洋戦争の終結後の1947年、「黒潮丸」など高雄港所在の沈没船は、中華民国が取得することになった。中華民国政府はすぐさま「黒潮丸」の引揚げを命じ、調査後に引揚げ作業を行って「永灝」(Yung-Hao)と改名した。「永灝」は旧日本資産を所管する日産管理委員会の管理と、台湾航業公司への移管を経て、1947年9月までには国営招商局の下で設立された中國油輪公司が船主となった。「永灝」は、中國油輪公司の保有するタンカー23隻(大型5隻・小型18隻)の中で最大かつ最高速であり、新型のアメリカ製T2 タンカーの取得も難航していたため、その価値は高く評価されていた。 「永灝」は1948年6月中旬に高雄で応急修理を受けた後、本格的な修理は同年7月から、イギリス統治下香港の九龍半島にあるホンコン・アンド・ワンポア・ドック(英語版)造船所(黄埔船廠)で行われた。日本製であるため日本の播磨造船所などに図面提供を求める交渉が行われたほか、複雑なタービン機関などは日本の石川島重工などの工場に運んで整備された。修理用の鋼材や工員の不足、日本への持込整備のため工事は遅延し、予定より遅い1951年4月に正式に竣工した。しかし、後述のとおり、修理中に激化した国共内戦による政府・船主分裂のため、中国船として就役はできなかった。
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