世界格闘技連合W★INGを旗揚げ
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「W★INGプロモーション」の記事における「世界格闘技連合W★INGを旗揚げ」の解説
1991年3月から5月にかけてFMW設立当初の代表取締役社長であった大迫和義、外国人選手のブッキングを務める渉外担当の茨城清志、レフェリーの川並政嗣、リングアナウンサーの大宝拓治、さらに茨城と共に外国人選手のブッキングを担当していた「キャピタル・スポーツ・プロモーション」のビクター・キニョネスやヒールの中心として大仁田厚と抗争を繰り広げていたミスター・ポーゴらユニット「プエルトリコ軍」が大仁田との確執から相次いでFMWを離脱。6月16日、キニョネス、ポーゴらは「キャピタル・スポーツ・プロモーション・ジャパン」を設立。これを元に世界格闘技連合W★INGとして8月7日、後楽園ホールで旗揚げ戦を開催。同団体では、かつてFMWに参戦経験のある柔道の徳田光輝、空手の齋藤彰俊(誠心会館)、総合格闘技の木村浩一郎(SAW)を「格闘三兄弟」と命名して3人を軸とした格闘技路線に加えて茨城、キニョネスにより、ブッキングされた外国人選手などによるデスマッチ路線が絡む構図としていた。
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