不発に終わった転地療養策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:07 UTC 版)
「太宰治と自殺」の記事における「不発に終わった転地療養策」の解説
追い詰められ、心身ともに疲労の極にあった太宰の身を案じた筑摩書房社長の古田晁は、太宰を御坂峠の茶店で静養させようと計画した。終戦後の物不足の時代であったため、1948年6月、古田は故郷長野県に行って太宰の山籠もり用の食糧の調達を行っていた。古田は太宰の後見人と目されていた井伏鱒二に計画を打ち明け、山籠もりの間は執筆も中断させ、自分は月に3回程度物資を持って御坂峠を尋ねることにするので、太宰が御坂峠できちんと療養を続けられるよう、最初の1カ月程度一緒に居て欲しいとの協力依頼を行っている。 1948年6月12日、太宰は大宮に古田晁を尋ねている。しかし古田は太宰の山籠もり用の物資調達のため、長野に行って不在であった。6月14日、長野から戻った古田晁は太宰が山崎富栄とともに失踪したとの情報を聞き、呆然とすることになる。
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