不干渉への方針転換
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 10:18 UTC 版)
「北センチネル島」の記事における「不干渉への方針転換」の解説
1991年の接触の後、当局の方針は転換した。島民は、多くの病気に対する免疫を持っていないと考えられる。同じアンダマン諸島に住む未接触部族であったジャラワ族は、外部との接触が増えた結果として伝染病の流行に苦しみ、社会が崩壊した。こうしたことを踏まえてセンチネル族に対しても積極的に接触を試みないことになり、政府の交流プログラムは1996年に中止された。 2004年のスマトラ島沖地震に際しては、安否確認のために訪れたヘリコプターに対して矢を放つ姿が確認された。 2006年には、カニの密漁をしていたインド人2人が、寝ている間にボートが流され、北センチネル島に漂着した結果、矢を射られ殺害された。インド政府は2人の遺体を回収しようとヘリコプターを派遣したが、住民から矢と投げ槍で攻撃されたため、遺体は回収することができなかった。殺人事件であるが、島が「現代社会の一部ではない」として、警察の捜査もされず放置されている。
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