上祐史浩の証言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 13:35 UTC 版)
死ぬ直前、「ユダにやられた」と話していたと上祐史浩(当時外報部長)が会見で述べた。後の2000年2月の週刊プレイボーイ上のインタビューでは上祐史浩は、「彼(村井)は刺殺される直前に、オウム真理教の事件その他はユダヤの陰謀であると言おうとしていた、そんな気配がある」「ユダヤ叩きというのは、僕にはどういう意味なんかよくわからない」が、「彼はあの直前に、テレビに出演してユダヤ叩きをやろうという計画を立てていた」「刺殺される数時間前に彼から私の方に『ユダヤ叩きをやりますよ。今から戻ります』という電話があった」「彼はその直後に刺殺された」と述べている。また、事件が起こったちょうどその日、オウム出版の編集部に彼が「ユダヤの陰謀関係の本を集めてくれ」と依頼していた。丁度編集部では前年末にユダヤ陰謀を特集していたため)」という。 上祐史浩はたびたび著書の中で村井のことを「友人」と評しており、その友人を殺した本人である徐裕行との対談は長年拒んでいたが、2013年に実現した。一方、村井が死んだ時に上祐は表情一つ変えなかったとの証言もある。
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