上神殿成立と中世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 09:47 UTC 版)
上神殿という地名は鎌倉期より見え、薩摩国伊集院のうちであり、建久8年の薩摩国図田帳に伊集院のうちとして見えるのが上神殿の初見であると考えられている。 南北朝期になり税所氏が衰退し、上神殿は伊集院氏の領下となるが、宝徳2年に伊集院氏の8代当主であった伊集院煕久が肥後へ亡命し、伊集院の全域が島津氏の直轄領となり、上神殿も島津氏の領下となった。中世後期頃になると下神殿と併せて神殿と総称されていたとされる。
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