上海クロニクルとコミンテルン東アジア事務局
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「グリゴリー・ヴォイチンスキー」の記事における「上海クロニクルとコミンテルン東アジア事務局」の解説
1919年、社会主義を学んだロシア人らにより上海において上海クロニクル紙の発行が始まり、1920年初頭にソビエト・ロシア政府から資金援助を受けた。1920年の春、ヴォイチンスキーと同僚は、中国で共産党を設立する任務のため中国を訪れた。彼らはその新聞の編集者や記者を装い、中国に訪れるだけでなく、その新聞事務所にコミンテルンの東アジア事務局を設立した。その時以来、上海クロニクルは、東アジア事務局のためのプロパガンダ機関であり、中国におけるボリシェヴィキ活動の避難所になった。中国での共産主義活動のため、新聞社という避難場所に駐在したソビエト・ロシア人とコミンテルン要員を新聞スタッフが援助したことから、その新聞社は全体として中国における初期の共産主義活動では特別な役割を持った。ロシアの援助が終わったため上海クロニクルは1922年末に出版を停止したが、多くのスタッフはボリシェヴィキのために動き続けた。
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