上水の管理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 15:04 UTC 版)
福井城下一帯は地下水が浅いため、鉄分が多くて飲み水としては使えなかった。芝原上水が飲料用の水として重要だったため、福井藩の直轄用水として厳しく管理された。御目付の監督下に上水奉行を置き、配下の御長柄組の足軽2人に上水筋の見回りを命じた。 芝原上水の清浄な水を保つため、上水に関する法令も制定され、川筋の各所に禁制事項を記した制札が建てられた。上水に関する法令に反したものは過料銀(失脚銀)を徴収される。1849年(嘉永2年)の過料覚(松平文庫蔵「上水掛旧例考」)には1年間29件の違反が記録され、芋や小鰈を洗っただけで銀5匁、最高過料となる行為としては洗濯をして銀20匁を徴収されたという記録が残っている。 この「上水掛旧例考」は、1849年(嘉永元年)4月から、目付上水掛に就いていた浅井政昭によって編纂されたものである。これは浅井が着任する前の記録である「上水掛御用留」を抜粋し編集したものや、1846年(弘化3年)の上水奉行横山十郎兵衛による「上水奉行勤向之覚」などが収められている。また、浅井は自らが目付上水掛に着任してからの記録として「上水掛近例考」も編纂しており、浅井による詳細な記録のおかげで、藩が上水を厳重に管理していたことがうかがえる。
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