玉川上水工事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 23:56 UTC 版)
上水工事は2度失敗していて、1回目は日野を取水口としたとき、地面に水が吸い込まれてしまう「水喰土(みずくらいど(水を吸う=水をくらう):浸透性の高い関東ローム層)」、2回目は福生を取水口としたとき、工事の途中岩盤に当たってしまったことであり、水喰土の失敗跡は今でも残されている。 1653年(承応2年)から工事が行われ、1654年(承応3年)までに開通した。これにより兄弟は「玉川」の姓を名乗る事が許され、上水の管理も玉川家の世襲とされたが、1739年(元文4年)に職を剥奪される。兄弟の墓所は台東区の聖徳寺にある。
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