玉川上水新水路
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/11 02:08 UTC 版)
1898年(明治31年)、淀橋浄水場の新設に伴い、現在の和泉給水所地点から浄水場まで定規で引いたような一直線の水路が開削され、これを新水路と呼んだ。1921年の龍ヶ崎地震で一部が損壊したが、後に旧水路から新水路への揚水用ポンプ8台が畠山一清による寄付で設置された。関東大震災の発生時には、隧道部の損壊や盛土が崩壊して水路が決壊したため、旧水路と揚水用ポンプが利用された。1937年(昭和12年)には、代わりとなる導水管が甲州街道の下に埋設され、新水路は廃止された。跡地のほとんどは、水道道路と都営住宅に転用されている。
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