上中里神社とは? わかりやすく解説

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上中里神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/22 14:29 UTC 版)

上中里神社かみなかざとじんじゃ

拝殿
所在地 神奈川県横浜市磯子区上中里町441
位置 北緯35度22分19.51秒 東経139度36分36.77秒 / 北緯35.3720861度 東経139.6102139度 / 35.3720861; 139.6102139座標: 北緯35度22分19.51秒 東経139度36分36.77秒 / 北緯35.3720861度 東経139.6102139度 / 35.3720861; 139.6102139
主祭神 大日大神
社格 村社
創建 不詳
地図
上中里神社
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神社の参道と鳥居

上中里神社(かみなかざとじんじゃ)は、神奈川県横浜市磯子区に所在する神社。小高い山の山頂にあり、急な階段で結ばれる。

歴史

創建年代は不明である。ただし、江戸時代後期の地誌新編武蔵風土記稿』に記載されていることから、その頃には既に存在していたものと推測される[1]

当社の神体不動明王である。前掲の『風土記稿』によれば、この不動明王像は行基作といわれており、当地の鎮守であった。ところが寛永年間(1624年 - 1644年)に発生した野火のため、堂宇は全焼してしまい、この像も行方不明になった。翌年、ある農民を耕していたところ、土中から不動明王像が発見され、再び祀られるようになった。この像は、出土の際にの痕が残ったことから「鍬肩不動(くわかたふどう)」と呼ばれている。当時の名称は「笹下明神社」と呼ばれており、祭神としては日本武尊であった[1]

1908年明治41年)の神社合祀により、神奈川県久良岐郡日下村大字栗木(現・神奈川県横浜市磯子区栗木)の日枝神社(現・栗木神社)に合祀されてしまった。そして日枝神社は「上笹下神社」に改称された。その後、旧笹下明神社の社殿は朽ち果ててしまったので、1919年大正8年)に取り壊され、放置されていた神体の不動明王像は、仏像の一種ということで、近くの随縁寺に移された[1]

1947年昭和22年)、上笹下神社に合祀された各神社は、それぞれ復祀されることになり、当社も「上中里神社」として復活、不動明王像も随縁寺から戻されることになった[1]。なお、上笹下神社は「栗木神社」に再改称している。

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c d 稲葉博 著『かながわの寺と社 その成立と縁起(かもめ文庫‐かながわ・ふるさとシリーズ18)』神奈川合同出版、1984年、76-79p

参考文献

  • 稲葉博 著『かながわの寺と社 その成立と縁起(かもめ文庫‐かながわ・ふるさとシリーズ18)』神奈川合同出版、1984年



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