三大帝国の時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 03:52 UTC 版)
ムガル帝国では陶芸が衰退した一方で、オスマン帝国ではイズニク陶器(英語版)が出現した。胎土は珪土質であったが、焼成温度を下げ燃料を節約するために鉛が混合された。また、これらの陶器は胎土と同じ組成のスリップで覆われた。これは初の珪土質のスリップである。無色の釉の下に装飾が描かれ、1度だけで焼成される。初期には青が用いられ、それから青緑、緑、ピンク、灰、黒、紫、褐色なども現れるようになっていった。しかしながら、イズニクの陶器を有名にしたのは酸化鉄によって実現されたトマトのような赤であった。 ペルシア人による自治を回復したサファヴィー朝では美術が再興し、シャーたちの求めにより中国の磁器の再現が再び試みられたが実らなかった。この時代に特徴的な陶器として、イズニク陶器に様式的には類似した釉下彩陶器であるクバチ陶器があった。ダゲスタンのクバチ地方で多くが発見されたためにこの名があるが、生産はタブリーズ周辺で行われていたと見られる。
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