浅井万福丸とは? わかりやすく解説

浅井万福丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/27 23:46 UTC 版)

浅井 万福丸[注釈 7](あざい まんぷくまる)は、 戦国時代の人物。近江国戦国大名浅井長政の長男で、『翁草』と『 浅井三代記』によれば嫡男。


注釈

  1. ^ 『浅井氏家譜大成』を根拠として、娘の茶々は正室のお市が嫁ぐ前に生まれたともいわれ、長政の実子ではないという説もあるが、婚儀の時期が違うのでやはり長政の子という反論もある。(淀殿#出生について
  2. ^ その年に生まれた子の意味。
  3. ^ 『翁草』『浅井三代記』によると浅井長政の滅亡の同年5月に生まれた当年子[注釈 2]で、中島左近、小川伝十郎が傅立てて近江国長沢村の福田寺の弟子となり[1]、慶安となったとする[2]。天正元年に産まれということはお江とは同い年なので庶子である[3]。『浅井氏家譜大成』では「虎千代丸長明」とされる[4]が、『寛政重脩諸家譜』では「万寿丸長秀」で、仏門に入り正芸と号し、院号は伝法院。近江国坂田郡長沢村の福田寺の住職となったとある[5][3][6]。この正芸はのちに還俗して、直政と名乗り、豊後に移住したとする別説もある[7]
  4. ^ 桑田忠親は淀殿の末弟の出家僧を「蒼玉寅首座」として万寿丸にあてている[8]
  5. ^ 『浅井氏家譜大成』によれば「喜八郎長春」[4]
  6. ^ 『浅井氏家譜大成』によれば「円寿丸政治」[4]
  7. ^ 旧字体は「淺井萬福丸」。『浅井氏家譜大成』によれば、輝政(てるまさ)とされるが、当時から200年以上後に書かれた文献なので信憑性に欠く。
  8. ^ 『信長公記』の「浅井備前が十歳の嫡男」から[9]
  9. ^ 豊臣秀頼の研究者。
  10. ^ 北近江の長浜の付近の地名。

出典

  1. ^ a b c 近藤瓶城 1919, p. 274.
  2. ^ a b 国史研究会 1915, p. 28.
  3. ^ a b 小和田 2014, p. 15
  4. ^ a b c 宮本義己『誰も知らなかった江』毎日コミュニケーションズ〈マイコミ新書〉、2010年。ISBN 9784839936211 
  5. ^ 北川 2008, p. 172.
  6. ^ 堀田 1923, p. 988
  7. ^ 野村義男「浅井長政二男直政調査異聞」(『真玉郷土研究会報』6号、1985年)
  8. ^ 桑田忠親『淀君』吉川弘文館〈人物叢書 新装版〉、1985年、49頁。ISBN 4642050043 
  9. ^ a b 近藤瓶城 1926, p. 93.
  10. ^ 国史研究会 1915, p. 27.
  11. ^ 太田浩司 著「北近江の戦国史」、長浜市長浜城歴史博物館 編『戦国大名浅井氏と北近江-浅井三代から三姉妹へ-』2008年。 
  12. ^ 近藤瓶城 1919, p. 172-174.
  13. ^ 福田千鶴『江の生涯―徳川将軍家御台所の役割』中央公論新社、2010年、12-13頁。ISBN 9784121020802 
  14. ^ 近藤瓶城 1919, p. 278-279.
  15. ^ 北川 2008, p. 171.


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