七修類稿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/28 15:54 UTC 版)
郎瑛(1487年 - 1566年?)は浙江の読書人で、字は仁宝。読書などで得た知識や、世上の見聞を天地・国事・義理・弁証・詩文・事物・奇謔の7分野に分類してまとめたメモ書きである『七修類稿』を残した。その中に宋江三十六人のメンバー名を記した「宋江原数」という箇所がある。郎瑛は『水滸伝』が成立しつつあった時代に生きた人物であり、彼の主張では羅貫中が元々の宋江三十六人に72人の地煞星を勝手に加えたので本来の36人のメンバーを書き留めたということである。リストにあだ名がついておらず、また『七修類稿』自体の史料価値がそれほど高くないこともあり、それほど評価されてはいないが、『宣和遺事』に登場していた林冲・公孫勝が再び消えていること、晁蓋が宋江と呉用の間の第2位にいること、李応が李英という名になっている(応と英はともに発音はyīng)ことなどが注目される。
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