一時存在した熊本刑務所 菊池医療刑務支所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/27 16:50 UTC 版)
「熊本刑務所」の記事における「一時存在した熊本刑務所 菊池医療刑務支所」の解説
かつて、ハンセン病専用の刑務所があった。 1947年8月、日本共産党はハンセン病患者にも参政権が認められたので、国立療養所栗生楽泉園を訪れ、そこに懲戒検束規定に基づく重監房を見た。そこでは、22人が獄死していた。国会で論議となったが、犯罪を犯したハンセン病患者の処分に困窮した療養所は刑務所の建設を要求、また厚生省は代用監獄案を提出した。 その後、栗生で韓国朝鮮系の患者により3人が殺害され、刑務所の必要性が認められた。職員側も入所者もその構想を肯定している。更に藤本事件が発生し、国立療養所菊池恵楓園に隣接して刑務所を建設することとなった。 そして昭和28年に法務省管轄下の菊池医療刑務支所ができた。ハンセン病療養所の入所者は、菊池刑務支所から出所した患者を療養所に受け入れなかったので、出所後どうするかに関して問題を残した。昭和57年に菊池恵楓園付近に刑務所が更新されたが、1996年のらい予防法廃止時、機能が廃止された。 詳細は「菊池医療刑務所」および「日本のハンセン病問題」を参照
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