一刀流の相伝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 07:59 UTC 版)
『一刀流口傳書』、『撃剣叢談』によれば、一刀斎は弟子の善鬼(姓不詳。なお一刀斎との出会いを描いた『耳袋』写本では船頭とあり名は記述されていない。小野姓とするのは俗説)と神子上典膳に下総国小金原(現千葉県松戸市小金原付近。なお『雜話筆記』では濃州桔梗ガ原(乗鞍岳北)とする)で勝負させ、勝った典膳に一刀流秘伝を相伝した。典膳は後に一刀斎に徳川家康へ推薦され1593年(文禄2年)に徳川秀忠に200石で仕えた小野忠明(小野次郎右衛門)である。一刀流は、小野忠明の後、子の小野忠常の小野派一刀流、忠明の弟(次子とも)の伊藤典膳忠也(『剣術系図』彰考館本の注に修行時代兄の前の名前神子神典膳と名乗ったとされる)の伊藤派一刀流(忠也派とも)に分かれ、以後も多くの道統が生まれた。
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