䂖土神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 01:08 UTC 版)
祭神:石土毘古神 垂仁天皇3年9月9日に、忌部宿彌八十彦(いむべすくねやそひこ)に神託があり社殿を建立し氏神としたのが開創で、八十彦は祭官となり奉職した。その後、石井郷の郷社となっていたが、享禄年間に長曽我部元親の弟元春が来襲し兵火により焼失し社司宮永氏は滅びる。その後、元春の末裔により奉祭され、天文年間になると黒川美濃守通博が剱来山城主となり黒川家の産土神となし天正元年5月正殿を再建し、同5年その孫の黒川備前守五右衛門が隋神門を建立するも、同13年8月豊臣秀吉の軍勢により剱山城落城し黒川氏滅亡し、その際に当社も大破する。寛政年間に一柳兵部少輔直頼が小松藩主となると、当社を管内五社の一に列し崇敬深くされた。明治初年の神仏分離により、当社は石土毘古神を祀る䂖土神社となり蔵王権現は妙雲寺に移され分離した。
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