ヴィープリ州の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 21:45 UTC 版)
1812年にロシア帝国ヴィボルグ地区がフィンランド大公国に割譲され、ヴィープリ州が発足した。この割譲は、時のロシア帝国皇帝、アレクサンドル1世によって、1811年のクリスマス前日、ユリウス暦1811年12月23日(グレゴリオ暦1812年1月4日)に発表された。第二次ロシア・スウェーデン戦争によって戦争の舞台となり、戦争後はロシアに割譲され、フィンランド大公国は建国されたもののロシア帝国の支配の下にあったフィンランドでは、ロシア帝国に対する反発感情が強く、この割譲はその感情を緩和するための試みとして行われた。1864年にはシエスタルヨキ(ロシア語ではセストロレツク)がロシア帝国サンクトペテルブルク県に移管されている。 1917年にフィンランド大公国は崩壊する。しかし、ヴィープリ州はそのまま維持された。州都であったヴィープリは、当時フィンランド第二の都市であった。
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