ヴィラレー提督
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 02:52 UTC 版)
こうした問題を抱えた艦隊の提督として新たに任命されたのが、ヴィラレー・ド・ジョワイユーズであった。 ヴィラレーはそれまでは一介の海尉にすぎなかったが、高度な戦術的才能を備えていることで知られており、アメリカ独立戦争中にはインド洋で、ピエール・アンドレ・ド・シュフランのもとで経験を積んでいた。 ヴィラレーは効率的な戦闘を行える新しい将校団の形成を試みたが、これらの取り組みは国民公会が副官として送り込んできた議員ジャン=ボン・サンタンドレによって妨げられた。艦隊及び提督の革命への熱意のほどを国民公会に直接報告することが任務であったサンタンドレはしばしば戦略の立案や作戦の実行に口を挟んだ。着任時に至っては、戦闘中に艦を守る意思が不十分であったと認められる士官はすべて帰国の際に処刑されるべしとする法令を交付するように提案するなど(流石に法令は実行に移されなかったようである が)、サンタンドレの干渉はヴィラレーにとって悩みの種となった。 一方で、サンタンドレがパリへ送る報告は定期的にル・モニトゥールに発表され、フランス国内での海軍の評判を大いに高めた。
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