ワラ (コルビー修道院長)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/09/02 08:17 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ワラまたはヴァラ(Wala, 775年? - 836年8月31日)は、カロリング朝フランク王国時代の聖職者。ボッビオ修道院長、コルビー修道院長(在位:826年 - 836年)。兄はコルビー修道院長アダラルドゥス(アーダルハルト)。兄と共にコルヴァイ修道院の創設者でもある。
来歴
父はフランク王国宮宰カール・マルテルの庶子ベルンハルトであり、従ってワラはカール大帝の従弟にあたる。フランク宮廷ではカール大帝の政治顧問を務めていたが、814年にカール大帝が死去しルートヴィヒ1世が即位すると、ルートヴィヒ1世により引退させられた[1]。兄アダラルドゥスが826年に死去したのちコルビー修道院長職を継ぎ、829年のパリ教会会議においては政府批判の先鋒に立った。
823年にルートヴィヒ1世と二度目の妃ユーディト・フォン・アルトドルフとの間にシャルルが産まれたのち、領地の継承をめぐりルートヴィヒ1世と先妃エルマンガルド・ド・エスベイが産んだ3子との仲が悪化した(帝国整序令参照)。ルートヴィヒ1世に不満を持つ3子をはじめとする反対派はコルビー修道院に集まり、ワラが指導者となり、830年4月14日、クーデターを行い成功させ、皇帝ルートヴィヒ1世は廃位された。しかしその後、3子の間で分裂が生じ、ワラはこれを止めることができず、ルートヴィヒ1世は復位した。836年、ボッビオで死去した。
脚注
- ^ 瀬原、p. 42
参考文献
- 瀬原義生 『ドイツ中世前期の歴史像』 文理閣、2012年、p. 41 - 43
「ワラ (コルビー修道院長)」の例文・使い方・用例・文例
- ワライカワセミの鳴き声は笑っているように聞こえる、
- 成功報酬型ワラントはストックオプションと同様の効果を持つものとして作られた。
- その有名な投資家はリパッケージされたエクスワラントの取引で大もうけした。
- 代表的な株絡み債の一つがワラント債である。
- ワラビがたくさんあるさま
- 褐藻の小規模な科:ホンダワラ
- チャカワラ類
- 有袋目カンガルー科の標準属:典型的なカンガルー類とワラビー類
- 高さ30インチの小さいワラビー
- ウサギワラビー類
- 野ウサギに似た永続性の歯を持つ小型のオーストラリア産のワラビー
- 尾の先に角質の爪を持つ小型のワラビー
- イワワラビー
- 洞窟や岩地にすむ、やせた長い脚を持つオーストラリア産のワラビー
- ヤブワラビー類
- オーストラリア・ニューギニアの低木の茂った地域にすむ小型で赤茶色のワラビー
- ツリーワラビー
- 前脚と後脚が同じ長さのニューギニア・北オーストラリア産の樹上性ワラビー
- ワラジムシ
- ワラジムシ科の標準属
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