ロレンソ・サンス会長時代
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「レアル・マドリード」の記事における「ロレンソ・サンス会長時代」の解説
1995年11月26日、ロレンソ・サンスが会長に就任する。1995-96シーズンはレアル・マドリードBからグティ、ビクトール・サンチェスらを昇格させるも無冠、リーガは最終的に6位で終わった。UEFAチャンピオンズリーグ及びUEFAカップの出場権を逃したのは1976-77シーズン以来となった。 1996-97シーズンはファビオ・カペッロが監督に就任し、1996年夏の移籍市場ではプレドラグ・ミヤトヴィッチ、ダヴォール・シューケル、クラレンス・セードルフ、ロベルト・カルロス、ボド・イルクナーらを獲得。1997年冬の移籍市場ではクリスティアン・パヌッチらを獲得した。同シーズンは当時のリーグ史上最多となる勝ち点92を記録 してのリーガ・エスパニョーラ優勝を果たすも、守備的な戦術が批判されシーズン終了後にカペッロは監督を退任した。 イルクナー パヌッチ M.サンチス イエロ R.カルロス レドンド カランブー セードルフ ラウル モリエンテス ミヤトヴィッチ 1998年5月20日に行われたUEFAチャンピオンズリーグ 1997-98決勝、ユヴェントスFC戦のスターティングメンバー。 1997-98シーズンはユップ・ハインケスが監督に就任し、1997年夏の移籍市場ではフェルナンド・モリエンテス、アイトール・カランカらを獲得。1998年冬の移籍市場ではクリスティアン・カランブー、サヴィオらを獲得した。同シーズンはスーペルコパ・デ・エスパーニャ優勝を達成したほか、UEFAチャンピオンズリーグ優勝を達成するが、シーズン終了後にハインケスは解任された。 1998-99シーズンはフース・ヒディンクが監督に就任し、1998年夏の移籍市場ではロベルト・ヤルニ、イバン・カンポ、フェデリコ・マガジャネスらを獲得。同シーズンはトヨタ ヨーロッパ/サウスアメリカ カップにて優勝を果たすが、成績不振によりシーズン途中でヒディンクは解任される。その後はジョン・トシャックが監督に就任するも、同シーズンはリーガ・エスパニョーラで2位、コパ・デル・レイでベスト4、UEFAチャンピオンズリーグでベスト8に終わる。 1999年夏の移籍市場ではミチェル・サルガド、イバン・エルゲラ、スティーブ・マクマナマン、ニコラ・アネルカらを獲得。1999-2000シーズンはレアル・マドリードBからイケル・カシージャスを昇格させるも、成績不振からシーズン途中でトシャックは解任され、その後はレアル・マドリードBの監督を務めていたビセンテ・デル・ボスケがトップチームの監督に昇格する。同シーズンはリーガ・エスパニョーラでは5位、コパ・デル・レイではベスト8に終わるも、UEFAチャンピオンズリーグでは優勝を果たす。 シーズン終了後に会長選を実施し、サンスはフロレンティーノ・ペレスに敗れたことにより会長職を退任。
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