ロマノフ朝の男系断絶と世襲の危機
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「ロマノフ朝」の記事における「ロマノフ朝の男系断絶と世襲の危機」の解説
1725年のピョートル大帝の崩御後、ロマノフ朝は常に継承問題に悩まされた。大帝の男子はこの時点で早世しており、残っていたのは大帝が殺害した皇太子の子・ピョートル2世のみであった。このピョートル2世は1730年に男子を残さずに早世し、この時点でロマノフ家の男系の嫡流は断絶した。 ピョートル2世の崩御後、傍系のアンナが継ぐも彼女にも子は無く、1740年には遂に姪の息子でわずか生後2ヶ月のイヴァン6世に跡を継がせた。しかし嫡流のピョートル大帝系のエリザヴェータによるクーデターが起こり、イヴァン6世は廃され、エリザヴェータが女帝として即位した。だが、彼女にも子が無く1762年に崩御。甥のピョートル3世が跡を継ぐが、宮廷革命でドイツ人の皇后・エカチェリーナ2世が即位した。
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