ルーシ侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/25 05:40 UTC 版)
「チンギス・カンの西征」の記事における「ルーシ侵攻」の解説
詳細は「1223年のルーシ侵攻」を参照 チンギス・カンの命によってムハンマド追討のため出発したジェベ、スベエデイ両将軍は西進を続け、エルブルズ山脈南麓を経由してイラン西北部、アゼルバイジャン、グルジア、アルメニアを席捲。 両将軍は、カフカース山脈を越えてキプチャク草原に進出し、キエフ・ルーシなどのルーシ諸公の連合軍とカルカ河畔において戦った(カルカ河畔の戦い)。団結力に欠ける連合軍が統率のとれた歴戦のモンゴル軍にかなうはずもなく、連合軍は大敗した。 その後、ジェベ、スベエデイ両将軍率いるモンゴル軍の別働隊は、本隊の帰還に合流するためキプチャク草原から去っていくものの、一連のキプチャク草原の戦闘によって西ヨーロッパのキリスト教諸国の間に「タタール」の名が広まっていくこととなる。
※この「ルーシ侵攻」の解説は、「チンギス・カンの西征」の解説の一部です。
「ルーシ侵攻」を含む「チンギス・カンの西征」の記事については、「チンギス・カンの西征」の概要を参照ください。
- ルーシ侵攻のページへのリンク