ルドヴィク1世の統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/12/03 14:07 UTC 版)
「ポーランド・アンジュー朝」の記事における「ルドヴィク1世の統治」の解説
ルドヴィク1世は、その関心をもっぱらバルカンやナポリに向けていたので、ポーランドは母エルジュビェタが統治することになった。ポーランド貴族はこれを好機と捉えて、ルドヴィク1世から多大な特権を得ることに成功している。1355年に発行された「ブダの特権」は貴族・聖職者階級からの新税を免除するものであった。加えて1374年の特許状では貴族及び騎士が有する農地で働く農民が払うべき「鋤」税の軽減が定められ、騎士や聖職者への手当も支給されることになった。結果、貴族の力が増大して王権が弱体化し、4世紀後に王国は滅亡に至ることになる。 また、総体的にはハンガリーとの連合はポーランドに利益をもたらすどころか、損害しか与えなかった。ルドヴィク1世は、カジミェシュ3世が心血注いで獲得したハーリチ地方をハンガリー領に編入したり、シロンスクをボヘミアに、辺境の係争地をブランデンブルク辺境伯に割譲したからである。当然のことながらポーランド国内では激しい反発心を引き起こし、1376年の暴動では数十人のハンガリー人が虐殺されている。1382年にルドヴィク1世が死去すると、ポーランド貴族の反発心は一気に爆発する形となる。
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