リ卜ヴィノフ案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 13:23 UTC 版)
明文として侵略を定義した条約としてはソビエト連邦および周辺諸国を中心として締約された侵略の定義に関する条約(英語版)が最初のものである(1933年7月3日署名、1933年10月16日発効)。これは1933年2月6日のジュネーヴ軍縮会議でリ卜ヴィノフLitvinovは「侵略国に侵略の口実を与えないことが重要である」と演説で述べた。この条約案に示された侵略の事例としては,宣戦布告の場合のほかでも、宣戦せずに他国の領土に侵攻した場合,軍隊が他国の領土に発砲した場合,他国の船や航空機を故意に攻 撃した場合,他国の許可を得ず,または許可された条件を守らずに,他国の領土に軍隊が進駐した場合,湖岸や港を封鎖した場合などが挙げられた。しかしこの条約自体は東欧圏を中心とした8カ国(のち9カ国)によるものにとどまり、国際的な承認を受けたものとは言いがたいものであった。
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