リンダ・クリードとは? わかりやすく解説

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リンダ・クリード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/14 03:17 UTC 版)

リンダ・クリード
Linda Creed
出生名 Linda Diane Creed
生誕 (1948-12-06) 1948年12月6日
出身地 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州フィラデルフィア
死没 (1986-04-10) 1986年4月10日(37歳没)
ジャンル R&Bソウルポップス
職業 ソングライター作詞家音楽プロデューサー

リンダ・クリードLinda Creed、結婚後はリンダ・エプスタインLinda Epstein1948年12月6日 - 1986年4月10日)は、アメリカ作詞家シンガーソングライター

作曲家で音楽プロデューサートム・ベルとチームを組み、1970年代に最も成功したフィラデルフィア・ソウルのグループの曲を作った。

概要

彼女はフィラデルフィアに生まれ、市内のマウントエアリー地区で育つ。1970年ダスティ・スプリングフィールドが、彼女の歌「Free Girl」を録音し、音楽業界に入った。

同年、ギャンブル&ハフの会社、フィラデルフィア・インターナショナル・レコードトム・ベルと組み、「Stop, Look, Listen (To Your Heart)」を書き、スタイリスティックスがポップ・チャートでトップ40に押し上げた。その後もスタイリスティックスに提供した「ユー・アー・エヴリシング」、「ゴーリー・ワウ」、「誓い」などが歴史的成功を収める。

2人はスピナーズの「Ghetto Child」、「I'm Coming Home」、「Living a Little, Laughing a Little」、「The Rubberband Man」なども書いてヒットした。彼女は同郷の女性歌手フィリス・ハイマン英語版とも多く共作し、「Old Friend」が有名。

経歴

1974年、26歳のときに乳がんと診断されたにもかかわらず、音楽活動を続け、作曲家マイケル・マッサーと「Greatest Love of All」を書き、1977年モハメド・アリの伝記映画『アリ/ザ・グレーテスト』の主題歌(歌唱:ジョージ・ベンソン)となった。

1986年春、ホイットニー・ヒューストンがデビュー・アルバム『そよ風の贈りもの』で同曲をカバーし複数のチャートでトップになった。ヒューストンは、歌手である母親シシー・ヒューストンから、同曲が「歌うのが最も難しい曲」であり、「これが歌えたら一人前」と応援されていた。

1986年4月10日死去。37歳。ヒューストンのカバー・バージョンが1位になる数週間前のことであった。

1987年、遺族や友人たちが「リンダ・クリード乳がん基金」(Linda Creed Breast Cancer Foundation)を設立した。

1992年にソングライターの殿堂入り。

代表曲

参考文献

外部リンク




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