ギャンブル&ハフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/06 17:45 UTC 版)
ギャンブル&ハフ Gamble and Huff |
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ギャンブル(左)とハフ(右) 1995年
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基本情報 | |
出身地 | ![]() |
ジャンル | ソウル、R&B、ファンク |
公式サイト | www |
メンバー | ケニー・ギャンブル レオン・ハフ |
ギャンブル&ハフ(Gamble and Huff)は、ケニー・ギャンブル(Kenneth Gamble、1943年8月11日生まれ)と、レオン・ハフ(Leon A. Huff、1942年4月8日生まれ)のコンビによる、アメリカのソングライターおよび音楽プロデューサー・デュオ。
来歴
1967年にソウル・サバイバーズの「エクスプレスウエィ・トゥ・ユア・ハート」がヒットし、ソングライター・デュオとして認識されるようになる。その後もイントゥルーダーズ、ジェリー・バトラーらのヒット曲を制作。1970年代にはオージェイズ、ハロルド・メルヴィン&ブルー・ノーツ、ビリー・ポールらが大ヒットをとばし、フィリー・ソウルの一大ブームの牽引役となった[1][2]。ケニー・ギャンブルはイスラム教徒であり、その歌詞には社会派のメッセージが含まれている曲も多い。ギャンブルと彼の企業は2003年にフィラデルフィアに400戸の住宅の建設と改築のために、1億ドルを用意した[3]。
主な提供作品
- ソウル・サバイバーズ「エクスプレスウェイ・トゥ・ユア・ハート」(1967年)
- イントルーダーズ「カウボーイズ・トゥ・ガールズ」(1968年)
- ジェリー・バトラー「ネバー・ギブ・ユー・アップ」、「ヘイ・ウエスタン・ユニオン・マン」
- オージェイズ「ラヴ・トレイン」(1973年)
- ビリー・ポール「ミー・アンド・ミセス・ジョーンズ」(1973年)
- テディ・ペンダーグラス「クロース・ザ・ドア」(1978年)
- ハロルド・メルヴィン&ザ・ブルー・ノーツ「二人の絆」(1972年)
- MFSB「ソウル・トレインのテーマ」(1974年)
- ザ・スリー・ディグリーズ「荒野のならず者」(1973年)、「天使のささやき」(1974年)
- パティ・ラベル「イフ・オンリー・ユー・ニュー」(1983年)
- ジャクソン5「ダンシング・マシーン」(1974年)
- シャーリー・ジョーンズ「ドゥ・ユー・ゲット・イナフ・ラブ」(1986年)
脚注
- ^ “Kenneth Gamble”. Songwriters Hall of Fame. 2021年7月2日閲覧。
- ^ “Leon Huff”. The HistoryMakers. 2018年4月8日閲覧。
- ^ Tuleya, R. Jonathan. “Cleaning up the ghetto”. South Philly Review. 2021年7月8日閲覧。
関連項目
- LA&ベイビーフェイス
- ジャム&ルイス
- スモーキー・ロビンソン
- カーティス・メイフィールド
- テディ・ライリー
- ヒゲダンス#「ヒゲ」のテーマ (原曲となった「Do Me」を通じて作曲として)
外部リンク
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