ラヴレンチー写本とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > ラヴレンチー写本の意味・解説 

ラヴレンチー年代記

(ラヴレンチー写本 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/25 05:37 UTC 版)

ラヴレンチー年代記』(ラヴレンチーねんだいき、ロシア語: Лаврентьевская летопись)は、ルーシ年代記レートピシ)の1つである。852年(それ以前の伝承なども含む)から1305年までの出来事がまとめられている[1]。書籍名は写本の1つ「ラヴレンチー写本」の奥付に記された、修道士ラヴレンチーの名にちなむ。

原初年代記』に加筆する形で編纂されており、後世の『トロイツァ年代記(ru)』、『ノヴゴロド・ソフィヤ年代記集成』等に影響を与えた。

成立・構成

『ラヴレンチー年代記』の原本は、11世紀の始め、『原初年代記』をヴィードゥビチ修道院典院シリヴェストルらが再編・加筆することによって成立した(「ラヴレンチー写本」(後述)の1110年の記事の後に、1116年の記述と共に「聖ミハイル(:ヴィードゥビチ修道院を指す)の典院シリヴェストルは年代記記者たちと共に著述をなした」という主旨の記述がある[2])。現存するこの年代記の写本としては、1377年に修道士ラヴレンチーらの手によって完成した[3]、「ラヴレンチー写本」が著名である。

『ラヴレンチー年代記』は、以下の資料に基づき編纂されている。

  • 852年 - 1110年:『原初年代記』
  • 1110年 - 1161年:南ルーシの出来事を記した、何らかの年代記
(この間の1162年 - 1163年に関しては記述がなされていない。)
  • 1164年 - 1305年:北東ルーシの出来事を記した、何らかの年代記

また、1096年の項に、『ウラジーミル・モノマフの庭訓(ru)』が挿入されており[4]、この挿入は他の年代記には見られない。ならびに1263年の項には『アレクサンドル・ネフスキー伝(ru)』からの挿入が見られる。

下敷きとなった原初年代記はキエフを中心とする南ルーシの出来事の記録に重点を置いている。一方、12世紀の記述より、ウラジーミルの動向に関心が移り、13世紀初頭の記事は、ロストフ公国に関する記事に大きく比重が傾いている。このことから、『ラヴレンチー年代記』は12世紀の北東ルーシに関する重要な史料の一つとなっている。

ニコライ・ベレジュコフ(ru) の説によれば、1110年 - 1304年間のうち101年は、3月を新年とする暦法(ru)が用いられている[5]

写本

  • 「ラヴレンチー写本」:羊皮紙。173葉現存、12葉消失。奥付によれば、写本を作成したのは修道僧ラヴレンチーであり、その作業は1377年1月14日から3月20日にかけて、ウラジーミル大公ドミトリー・コンスタンチノヴィチ(ru)[4]、スーズダリ主教ディオニシー(ru)の指示により行われた。ゲリアン・プロホロフ(ru)は、写本作成の際に、1237 - 1238年のモンゴルのルーシ侵攻に関する記述はより苛烈に書き直されたと仮説を述べている[6](ただしヤコフ・ルリエ(ru)、ボリス・クロス(ru)はこの説を否定している)。

『ラヴレンチー年代記』の刊本(『ロシア年代記全集(ru)』所収)は、「ラヴレンチー写本」に、『ラジヴィフ年代記』、『モスクワ・アカデミヤ年代記(ru)』を参照して編纂されている。

出典

  1. ^ Лаврентьевская летопись // Большая советская энциклопедия
  2. ^ 中澤敦夫「『イパーチイ年代記』翻訳と注釈(1) : 『原初年代記』への追加記事(1110~1117年)」『富山大学人文学部紀要』第61巻、富山大学人文学部、2014年8月、237頁、CRID 1390853649736563968doi:10.15099/00000292hdl:10110/12937ISSN 03865975 
  3. ^ ЛАВРЕНТЬЕВСКАЯ ЛЕТОПИСЬ // Большой Энциклопедический словарь. 2000.
  4. ^ a b ЛАВРЕНТЬЕВСКАЯ ЛЕТОПИСЬ // Советская историческая энциклопедия
  5. ^ Бережков Н. Г. Хронология русского летописания. М., 1963.
  6. ^ Прохоров Г. М. Повесть о Батыевом нашествии в Лаврентьевской летописи // ТОДРЛ. Л., 1974. Т. 28. С. 77-98

ラヴレンチー写本 (Laurentian codex)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 08:01 UTC 版)

原初年代記」の記事における「ラヴレンチー写本 (Laurentian codex)」の解説

ニジニ・ノヴゴロド修道士ラヴレンチースーズダリニジニ・ノヴゴロドドミトリー・コンスタンチノヴィチ(en)のために1377年転写したものである。彼が使用したオリジナル1305年トヴェリ大公ミハイル・ヤロスラヴィチのために編纂された写本でそれは現在失われている。年代記記載1305年まで続くが、899から922年、1263から83年、また1288から94年までの間の記載なんらかの理由により除かれている。写本1792年有名なムシン・プーシキン伯爵(en)が入手し、後にサンクトペテルブルクにあるロシア国立図書館贈呈された。

※この「ラヴレンチー写本 (Laurentian codex)」の解説は、「原初年代記」の解説の一部です。
「ラヴレンチー写本 (Laurentian codex)」を含む「原初年代記」の記事については、「原初年代記」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ラヴレンチー写本」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ラヴレンチー写本」の関連用語

ラヴレンチー写本のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ラヴレンチー写本のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのラヴレンチー年代記 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの原初年代記 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS