ラジオ局設立の仲介
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/30 10:03 UTC 版)
1950年(昭和25年)、電波監理委員会はラジオ民間放送への門戸開放に際し、東京の新設放送局は二局に限ることを決定した。しかし既に民間放送開始に向けて新聞会社を母体とする朝日放送(朝日新聞系)、ラジオ日本(毎日新聞系)、読売放送(読売新聞系)、東京放送(電通系)が準備を進めており、どの新聞社系の会社が免許を取得しても軋轢が生じることが不可避となった。この事態に原安三郎が仲介に乗り出し一本化に成功、新会社は1951年(昭和26年)1月10日に株式会社ラジオ東京(資本金一億五千万円)として電波監理委員会に申請書を提出した。このラジオ局は、現在のTBSラジオの源流にあたる。
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