ラクスマンの根室訪問
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/17 04:11 UTC 版)
「弁天島 (根室市)」の記事における「ラクスマンの根室訪問」の解説
1782年(天明2年)に、伊勢の廻船屋大黒屋光太夫(1751年 - 1828年)が白子港(三重県鈴鹿市)江戸を目指して出航したが、遭難してアリューシャン列島まで流された。彼らはロシアのアダム・ラクスマンらに救助され、当時のロシア帝国の首都ペテルブルクまで赴き、女帝エカチェリーナ2世に謁見した。その後、ラクスマンは遣日使節として、大黒屋光太夫らを伴って再び日本へ向かった。ラクスマンらは1792年(寛政4年)10月20日に根室港へ到着した。 ラクスマン一行は弁天島に船を停泊させ、総勢42名で根室に上陸、そこで8ヶ月を過ごした。冬の間は結氷した湾内でスケートをしており、これは日本における最古のアイススケートだとされている。
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