ヨーロッパ各地での活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 08:20 UTC 版)
「シャルル・ジョゼフ (リーニュ公)」の記事における「ヨーロッパ各地での活躍」の解説
シャルル・ジョゼフは次第に皇帝ヨーゼフ2世の親友かつ相談役となり、また父の莫大な遺産と領地を相続したことで、華麗な宮廷生活を楽しむようになった。しかしバイエルン継承戦争が勃発すると、彼は軍隊に復帰することになった。 戦争は短期間でほとんど有名無実に終わった。するとシャルル・ジョゼフはイングランド、ドイツ、イタリア、スイス、フランスとヨーロッパ中を旅して、各国の宮廷、軍営地、サロン、哲学者や科学者の学会を訪問した。特にプロイセンを訪れた際には敵であるはずのフリードリヒ2世に心酔し、彼のシュレジエン併合を正当化するまでになった。 1787年、シャルル・ジョゼフはロシアのエカチェリーナ2世のクリミア視察に同行した。同年9月8日、シャルル・ジョゼフは歩兵大将に昇進した。1789年5月から墺土戦争に参陣してベオグラード包囲戦でのオーストリア勝利に貢献し、10月12日にはマリア・テレジア司令官十字章を受けた。
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