ヨーロッパ・カナダ担当国務次官補への就任
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「リチャード・ホルブルック」の記事における「ヨーロッパ・カナダ担当国務次官補への就任」の解説
ドイツ大使を離任したホルブルックは、帰任後すぐにヨーロッパ・カナダ担当国務次官補(Assistant Secretary of State for European and Canadian Affairs)に就任し、1996年2月に一身上の都合により辞職するまで同職を務めた。 在任中は、ドイツ大使時代から取り組んでいたNATOの拡大戦略実現に尽力したほか、バルカン半島問題においては和平交渉担当チームの中心的役割を担った。特にボスニア・ヘルツェゴヴィナ紛争においてはその和平交渉を一手に仕切り、ボスニアのムスリム、セルビア人、クロアチア人の3勢力を、時になだめすかし、時にNATO軍による空爆をちらつかせながら約3カ月にわたるシャトル外交の末に交渉のテーブルに着かせると共に、2度の徹夜を含む20日間連続の交渉を行い、1995年のデイトン和平合意の成立を実現させた一番の立役者とされる。この功績を評価され、翌1996年にはドイツ国防省よりマンフレート・ヴェルナー・メダルを贈られている。また、ノーベル平和賞の候補にもたびたび名前が挙がったとされる。 このようにクリントン外交の中心人物として活躍していたが、1995年に3番目の妻であるカティ・マートン(英語版)と再婚しており、彼女と過ごすためにニューヨークへ戻りたいという理由から、1996年2月に次官補を辞任した。
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