ヨハン・ワーヘナールとは? わかりやすく解説

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ヨハン・ワーヘナール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/09/30 19:54 UTC 版)

ヨハン・ワーヘナール (1912)

ヨハン・ワーヘナールJohan Wagenaar, (1862年11月1日 ユトレヒト1941年6月17日 デン・ハーグ)はオランダロマン派音楽作曲家オルガン奏者。

人物

貴族の父親シプリアーン・ヘラルト・ベルヘル・ファンヘンフスト(Cypriaan Gerard Berger van Hengst)と庶民の母親の間に生まれた。当時の社会的な因襲では、貴賎結婚は認められるものでなかったので、ワーヘナールは母親の姓を名乗り、ほぼ低所得層で育った。早くから楽才は明らかだったものの、なかなか音楽教育を受けることはできず、13歳になって初めてピアノオルガンヴァイオリン音楽理論作曲を学んだ。最初の指導者に作曲家のリヒャルト・ホルやオルガニストのサムエル・デ・ランヘ(サミュエル・ド・ランジュ)がいる。1892年にしばし国外に出て、ベルリンハインリヒ・フォン・ヘルツォーゲンベルク対位法の指導を受ける。

この頃にはすでにユトレヒトの音楽学校に教師として赴任しており、管弦楽団員としても活動していた。数年間にわたる実地の演奏活動は、管弦楽法の技術を磨く上でまたとない経験をもたらした。1888年にユトレヒト大聖堂のオルガニストに就任し、華麗な演奏技巧によってなかなかの名声を得た。ワーヘナールのオルガン演奏の後では、もはや演説することができなくて困ると聖職者のひとりがこぼしたという逸話も伝えられている。

1896年にユトレヒト音楽学校の校長に任命され、それから20年後には、ユトレヒト大学から音楽学名誉博士号を授与されている。1919年から1937年まで、ハーグ音楽院の院長も勤め、その地に没した。ユトレヒトとハーグでは、合唱指揮者としても活躍し、オランダ内外の作曲家による有名な作品を数多く初演した。次世代を育んだ名教師としても評価が高く、門人にウィレム・ペイペルや、米国で音楽教師として活躍した実子バーナード・ワゲナー(ベルナルト・ワーヘナール)がいる。ちなみにバーナード・ハーマンはワゲナーの弟子であり、したがってワーヘナールの孫弟子ということになる。

これだけ多角的な音楽活動にもかかわらず、ワーヘナールは第一線の進歩的な作曲家であり続けた。当時の指導的なオランダ人作曲家として、歌劇カンタータオルガン曲の作曲を手懸けたほか、ベルリオーズに影響された演奏会用序曲や、リヒャルト・シュトラウスに影響された交響詩を作曲した。ドイツの同時代の音楽のように委曲を尽くした音詩を創り出したり、シュトラウス作品を真似てむやみと超絶技巧を要求して品を下げたりすることなく、いつでも美しさを保っている。

ワーヘナールとエドワード・エルガーとに直接の関係があったという確証はないのだが、それでも両者の間に確かな共通点があるということは、いよいよ驚くべきことである。その反面、ワーヘナール作品は、エルガー作品に特徴的な、膨張傾向は見られない。

関連文献

  • 鈴木康之,矢口正巳『無名名曲鑑賞会』(文化書房博文社,1994)




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