ヨガイライティス家(1440年 – 1569年)
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リトアニア大公国は1385年の「クレヴォの合同」によりポーランド王国と人的同君連合となったが、1つの家系によって統治されるようになったのは、カジミエラス1世以降である(カジミエラス1世の死後、リトアニアとポーランドで異なる統治者になったことが2度あったが、実質的にはリトアニア側がポーランドの王座にあったと見なされている)。同君連合の君主は、リトアニア大公とポーランド王(リトアニア語: Lenkijos karalius)の2つの称号を保持していた。ヨガイライティス家はゲディミナス家の直系である。 名前肖像在位期間備考カジミエラス1世Kazimieras I 1440年 – 1492年 ヨガイラの子。ポーランド王(1447年 – 1492年)。 アレクサンダラスAleksandras 1492年 – 1506年 カジミエラス1世の子。ポーランド王(1501年 – 1506年)。 ジーギマンタス2世Žygimantas II 1506年 – 1548年 アレクサンダラスの弟。 ジーギマンタス3世Žygimantas III 1548年 – 1569年 ジーギマンタス2世の子。1529年から実質的な統治者。
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