ユースフ・スーフィーの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/05/08 17:21 UTC 版)
「スーフィー朝」の記事における「ユースフ・スーフィーの時代」の解説
スーフィー朝の君主の跡を継いだフサインの兄弟ユースフは、キャトとヒヴァをティムール朝に割譲して和平を結んだ。ホラズム北部はスーフィー朝の元に留まっていたが、1373年にティムールがモグーリスタン遠征に出陣した間に、ユースフがキャトとヒヴァの奪回を試みてティムール朝の領土に侵入した。同年冬にティムールは第二次ホラズム遠征を行うが、ユースフはすぐさま謝罪し、ユースフの娘ソユン・ベグ(ハンザデ)をティムールの王子ジャハーンギールに嫁がせることで和平が成立した。 1375年にユースフは和平を破って再びキャトとヒヴァを包囲するが、ティムールに敗北する。 1379年にユースフはティムールが留守にしていたマー・ワラー・アンナフルに侵入し、サマルカンド周辺で略奪を行った。この時にユースフはティムールに一騎討ちを申し込むが、ユースフは指定した期日になってもウルゲンチの大門の前に現れず、決闘から逃亡したフサインは家臣から軽蔑された。ウルゲンチはティムール軍の包囲を受け、ユースフは包囲中に没した。ティムールはウルゲンチに降伏を勧告するが、ウルゲンチは降伏を拒絶した。3か月の包囲の末にティムール軍がウルゲンチを陥落させた後、都市の住民は虐殺され、市内に火が放たれた。
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