ヤンマーディーゼルコーチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 07:50 UTC 版)
1967年、ヤンマーディーゼルサッカー部は釜本邦茂を始めとする多くの新人を迎えるのに合わせるようにスタッフ陣も刷新され、それまで主力選手だった鬼武健二が選手兼監督、加茂がコーチ、安達貞至がマネージャーに転じた。加茂は1972年まで鬼武の下でヤンマーディーゼルのコーチを務めた。 1969年、デットマール・クラマーがスクールマスターを務める3ヵ月間におよぶFIFAコーチングスクールを受講する。1970年、配属されていた貿易部が東京に移転したが、加茂は特別に大阪に残され、サッカーだけに専念できる環境が用意された。1972年、ヤンマーは同シーズンのJSL1部で初優勝を飾った。鬼武は同シーズン限りで監督を退いて、加茂を後任に据える構想を持っていたが、加茂は「釜本の存在が大きくなりすぎて、自分の考えるサッカーをこれ以上進めていくのはむずかしいだろう」と判断してヤンマーを離れた。
※この「ヤンマーディーゼルコーチ」の解説は、「加茂周」の解説の一部です。
「ヤンマーディーゼルコーチ」を含む「加茂周」の記事については、「加茂周」の概要を参照ください。
- ヤンマーディーゼルコーチのページへのリンク