モーターヘッド時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/11 04:24 UTC 版)
「ブライアン・ロバートソン」の記事における「モーターヘッド時代」の解説
1982年、『アイアン・フィスト』のプロデュースを巡ってレミーと対立して脱退した "ファスト" エディ・クラークの後任としてモーターヘッドに加入。5月21日、デトロイトのハーポス・コンサート・シアターにおけるライヴでお披露目された。その後「キング・ビスケット・フラワー・アワー」の収録に続いてアルバム『悪魔の化身』(Another Perfect Day) (1983) のレコーディングに参加した。 しかし、どちらかというとメロウなロバートソンのプレイスタイルはモーターヘッドの個性には明らかにフィットしておらず、『悪魔の化身』およびそこからシングル・カットされた「シャイン」(Shine) のセールスもまったくの期待外れに終わり、当時の日本の音楽雑誌「ミュージック・ライフ」にて、後にヘヴィメタル専門誌BURRN!を創刊する当時副編集長の酒井康が記事に「ロボは殺すしかない」と書いたほどの違和感の強さだった。結局1983年11月11日に行われたベルリンでのライヴを最後にモーター・ヘッドを脱退。その後ゲイリー・バーデンのバンド、ステイト・トゥルーパーに参加するが成功には恵まれなかった。
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