モレスビー攻撃
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1942年2月19日、第四航空隊(四空)に配属。ニューブリテン島のラバウルに進出。4月1日、台南航空隊(台南空)に配属。第25航空戦隊が新編され、四空の戦闘機隊の人員、機材が台南空に吸収された。16日に台南空の本隊が合流し、ラバウルの前進基地となるニューギニア島東部のラエに進出。童顔色白の小柄な美少年だった羽藤は、ハトポッポの語呂あわせから台南空で「ポッポ」の愛称で呼ばれていた。 1942年4月11日、ラエ基地上空で、豪空軍第75航空隊のカーチスP-40ウォーホーク戦闘機(D.S.ブラウン飛曹機)を初撃墜。6月25日、ポートモレスビー攻撃に参加。米陸軍第35戦闘飛行隊のベルP-39エアラコブラ戦闘機の撃墜を報告。7月11日、ポートモレスビー上空での米陸軍第40戦闘飛行隊のP-39戦闘機(オービル・カークランド少尉機)を撃墜。8月2日、ブナ泊地上空で、米陸軍第41戦闘飛行隊P-39戦闘機を撃墜。
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