モルモン教とノーブー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/18 05:17 UTC 版)
「イリノイ州の歴史」の記事における「モルモン教とノーブー」の解説
1839年、末日聖徒イエス・キリスト教会員、すなわちモルモン教徒あるいはLDSがミズーリ州での迫害を逃れてイリノイに入り、小さな町を購入してノーブーと改名した。この町はミシシッピ川の有名な屈曲部にあり、直ぐに人口が12,000人まで成長して、しばらくの間はイリノイ州での最大都市を競った。ある意味では神政政治だったが、民主的な選挙も行った。モルモン教徒は1つの塊で投票するという事実、また孤立し独立した非モルモン教農夫に対抗して集団で行動することに価値を見出していたので、近くに住む非モルモン教徒の多くは疑いを持ち嫉妬を抱くようになった。1840年代初期までに、モルモン教徒はノーブーに大規模な石造りの教会を建てたが、これは当時のイリノイ州では最大級の建物となり、1846年に完工した。1844年にジョセフ・スミス・ジュニアはイリノイ州の司法制度の保護下に置かれ、トマス・フォード知事からの安全の保証があったにも拘わらず、スミスがカーシッジ近くで暗殺された。1846年、ブリガム・ヤングに指導されたモルモン教徒はイリノイ州を離れ、後にユタ州となる地域に入ったが、当時はまだメキシコ領だった。ノーブーには少数の離脱者が残ったが、ノーブーの町は大部分放棄された。上述の教会は1846年に完工したが、ほんの数ヶ月使われただけで、モルモン教徒が出て行く時に売却された。数年後にイカリア人夢想家集団がノーブーにやってきたが、結局解体された。今日のノーブーには1840年代に建てられた建物の多くを修復している。
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