モナコGPの仮定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 02:39 UTC 版)
「1984年のF1世界選手権」の記事における「モナコGPの仮定」の解説
この年のモナコGPは大雨のため31周終了時点で打ち切られた。規定周回数に満たないため入賞ポイントが半分に減らされ、優勝したプロストは1位9ポイントの半分である4.5ポイントしか獲得できなかった。最終的にプロストが0.5点差でタイトルを逃したため、「もしレースが続行された場合」という様々な仮定を生むことになる。 もしレースが続行され、プロストが優勝か2位で4.5点以上を得ていれば、年間チャンピオンになれたという意見。ただし、競技委員に対しレースの切り上げをアピールしたのはプロストであり、最終的に自らの首を締める事となったのは皮肉と言えよう。 レースが続行されたとしても優勝できたかは疑問、という意見もある。後方からセナとベロフが猛烈なペースで追い上げており、雨を苦手とする(慎重な走りになる)プロストが3位(4点)に落ちる可能性もあった。 セナが勝った場合、F1デビュー6戦目での初優勝(トールマンにとっても初優勝)。しかし、セナよりベロフの方がペースが速く、ベロフの初優勝となった可能性もある。 もしふたりに抜かれたとしても、セナは火傷とマシンのサスペンションにトラブルを抱えており、ベロフは後に水タンク事件で年間ポイントを剥奪されている。プロストよりも速かったのはセナとベロフだけで、セナに抜かれたとしても2位で6ポイントを獲得していたことになり、年間ポイントでラウダを1ポイント上回っていたことになる。 もちろんセナとベロフに抜かれず優勝した可能性も大いにあり、そうなれば完全にラウダのポイントを上回っていたことになる。
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