モガディシュへの帰還
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 00:04 UTC 版)
「アリー・ムハンマド・ゲーディ」の記事における「モガディシュへの帰還」の解説
結局のところ、暫定連邦政府はイスラム法廷会議との対立路線を取った。2006年7月、ソマリアの隣国エチオピアはソマリアにおけるイスラム武装勢力の台頭を嫌い、暫定連邦政府を支援する形でソマリアに進駐した。これにソマリア議会が反発、ゲーディ首相の不信任案が出され、不信任票が信任票を上回るものの、規定数に満たず留任となった。しかし閣僚39人が辞職した。ユスフ大統領は内閣の改造を指示し、ゲーディは長官職を42人から31人に、副長官を80人から44人に大幅に減らした新内閣を発足させた。 2006年12月、エチオピア軍の力を借りた暫定連邦政府は、イスラム法廷会議との戦闘を開始した。戦闘は順調に進み、12月29日にモガディシュ入りを果たした。この際、ゲーディはモガディシュ市民に歓迎されたが、エチオピア軍に対しては投石などの抗議も行われた。2007年1月1日、ゲーディは「モガディシュの軍閥支配時代は終わった」との宣言を出している。ゲーディは3か月の戒厳令を出し、民間武装の縮小と、新しい裁判官の任命を行った。
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