モガディシオ撤退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 00:23 UTC 版)
「アル・シャバブ (ソマリア)」の記事における「モガディシオ撤退」の解説
2011年7月から8月にかけて、モガディシオ市内においてアフリカ連合派遣部隊と交戦するも、市内からの撤退を余儀なくされる。また、同年10月にはソマリア南部へケニア軍の陸上部隊が進出(ケニア軍のソマリア侵攻の項参照)したほか翌月にはケニア軍機が爆撃を実施。さらに、同じ時期よりエチオピア国境ではエチオピア軍の侵攻が盛んに報じられるなど、国際的な包囲網が敷かれるようになった一方、リビアのカダフィ政権が崩壊して支援が途絶えたことも打撃となった。 2012年2月、アル・シャバブがアルカーイダへ合流するメッセージがアル・シャハブのサイトに掲載される。サイトには、併せてアルカーイダの指導者ザワヒリのビデオ声明も掲載している。
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