メディア「王国」の実在性の問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:59 UTC 版)
「メディア王国」の記事における「メディア「王国」の実在性の問題」の解説
「メディア人」の部族、またそれらを束ねる首長らが存在したことはアッシリアやバビロニアの史料から明瞭であるが、近年ではハカーマニシュ朝の前身としてのメディア「王国」の存在については懐疑的な見解が有力である。この理由は、デイオケスによって建国されイラン高原およびその東西の広大な範囲を支配した統一国家メディア「王国」はヘロドトスをはじめとした古代ギリシア人の著作家の記録にのみ登場し、非ギリシア史料や考古資料にその痕跡が一切存在しないことによる。実際、アッシリアの記録に登場するメディア人たちは要塞化された居住地を束ねる複数の首長らからなり、統一的な王の存在は同時代史料からは全く見出されない。これらのことから、メディア王国とは古代ギリシア人の想像の産物に過ぎず、その実態はイラン系遊牧民の部族連合のようなものであったとする見解もある。 この見解がどの程度の妥当性を持つかは議論があるが、メディア「王国」の史実性・実在性について証明可能な史料は存在しない。そのため、ハカーマニシュ朝の前史として描かれ、その制度と領土がハカーマニシュ朝に引き継がれ大きな影響を与えたとされるメディア「王国」についての一般的な説明は見直しを迫られている。
※この「メディア「王国」の実在性の問題」の解説は、「メディア王国」の解説の一部です。
「メディア「王国」の実在性の問題」を含む「メディア王国」の記事については、「メディア王国」の概要を参照ください。
- メディア「王国」の実在性の問題のページへのリンク